著者
西野 春雄
出版者
野上記念法政大学能楽研究所
雑誌
能楽研究 : 能楽研究所紀要 = Nogaku kenkyu : Journal of the Institute of Nogaku Studies (ISSN:03899616)
巻号頁・発行日
vol.18, pp.173-190, 1994-03-30

ここ数年、能楽界は催しの数も格段に増え、全国各地での薪能も頂点に達した感があった。各地の薪能の開催日・演者や番組・その他の内容について『観世』編集部が一冊にまとた『今年の薪能』が出版される程であるが、近年はバブルが弾けたためか、地方公共団体主催による薪能・野外能は、ひところよりは減少してきており、催会過密の解消にはむしろ歓迎すべき現象かもしれない。薪能ばかりが能の普及や観客層拡大の手段ではないはずで、これまでの成果を踏まえつつ、さらに工夫してもらいたいと思う。また近年の特筆すべき動きとして、横浜・名古屋・大津など地方都市に続々と能楽堂の建設が進んでいることである。国立能楽堂をはじめ各地の既存の能楽堂の長所を積極的に取り入れながら、その地域の特色や立地条件を生かした能楽堂の建設に期待したい。そして、ハードの面もさることながら、ソフトの面での清新な発想を望みたい。多目的がいつのまにか無目的になった例もあるから、慎重に進めてもらいたい。ところで、以前も本欄で取り上げたことがあるが、年間を通じての各流各派の常の会はいうまでもないが、昭和62年から始まった国立能楽堂の研究公演(武文・舞車・当願暮頭)をはじめ、梅若六郎・大槻文蔵などによる活発な廃絶曲の復曲活動や、古演出の復活上演などが、近年積極的に行われている。本研究所でも創立40周年を記念し「鐘巻」を復曲した(彙報参照)。一方、心臓移植の問題を取り上げた多田富雄作「無明の井」、W・B・イエーツ原作・高橋睦郎作「鷹井」などの新作能も盛んで、話題を呼んだ。今後とも、能の精神や技法に基づきつつも、類型にこだわることなく、誤り訛誤を正し、古典に新たな生命を吹き込んでもらいたい。現代と相渉る創作活動は、能が現代の演劇の一翼を担う芸術であるかぎり、将来も積極的に続けられるであろうし、そうあってほしい。ところで、国際化の波はあちこちに現れているが、国立能楽堂主催の外国人のための能楽鑑賞会もそのひとつであろう。年一回の公演ながら、着実な動きを見せつつある。概要を記した英語・中国語・ドイツ語・フランス語・朝鮮語・スペイン語によるパンフレットも有難く、演能に先立ちリチャード・エマート氏による英語の解説もある。さらに有料ながら、モニカ・ベーテ氏とリチャード・エマート氏、及びロイヤル・タィラー氏による戯曲構造に留意し対訳その他にいろいろと工夫が施された解説書も有益で(これまで「松風」「藤戸」「三井寺」の三冊を刊行)、これからも末長く継続してほしい。とくに技法面にも言及した解説書は、類書もあまりなく、これまでの英訳書の水準を抜いており、年一冊づつでも刊行されれば、将来の良き資料となるだろう。あまり知られていないが、国立能楽堂ならではの仕事である。このように能楽界は未曾有の盛況を呈しているが、一方で、シテ方・ワキ方・狂言方・囃子方ともに、それぞれかけがえのない人物を失った。明治の気骨を示した近藤乾三氏・柿本豊次氏をはじめ、激動の時代を支えて来られた方々を見送らねばならなかった。詳しくは物故者の欄を見ていただきたいが、能楽界も新旧交代が進んでいる。しかし、それ以上に、現今の催し物の増大と超多忙な状況が寿命を縮める一要因となっている点も否めない。特に福岡で「砧」を演じ終えてのち数時間後に亡くなられた観世左近氏の急逝は、氏が六十代の働き盛りであっただけに、哀惜の念をいっそう強くする。ところで、昭和五十九年度から始まった国立能楽堂による能楽(三役)研修事業も第一期(一期三年)・二期・三期と進み、第一期生・二期生はすでに舞台に出ている。選考試験に合格し、研修を受けても、途中で辞めていく生徒が出て来るのはやむを得ないとしても、指導に当たった先生方の努力の割りには、歩留まり率がいいとはいえない実情は、早急に検討すべき問題であろう。これまでの成果を踏まえつつ、研修制度の見直しと、遠い将来をも視野に入れた方策を根本的に考える時期に来ていると思う。以下、近年盛んな国際交流を象徴するかのように十年ぶりに開かれた能をめぐる国際シンポジウムの話題、栄誉・受賞、日本能楽会の増員と日本能楽会・能楽協会関係の記事、物故者などの記録を中心に記述する。
著者
西野 春雄
出版者
野上記念法政大学能楽研究所
雑誌
能楽研究 : 能楽研究所紀要 = Nogaku kenkyu : Journal of the Institute of Nogaku Studies (ISSN:03899616)
巻号頁・発行日
vol.23, pp.197-210, 1999-03-30

平成九年(一九九七)の能楽界は、鏡板の松の絵をめぐって老松か若松かとマスコミの話題をにぎわした名古屋能楽堂が、四月、名古屋城正門前にめでたく竣工し、開館したことを初めとして、各地で能楽堂の建設への動きが続出していることが特筆される。名古屋能楽堂は平成八年春に開場した横浜能楽堂に続く能楽界の慶事で、このほか豊田市能楽堂(豊田参号館8階)・新潟市市民芸術文化会館能楽堂など、地方での能楽堂建設の動きは活発である。一方、一月に関根直孝氏・善竹圭五郎氏、二月に藤井久雄氏・鵜澤雅氏、三月に奥善助氏・鵜澤壽氏、四月に寺井啓之氏・敷村鐵雄氏、六月に櫻間辰之氏・野村祐丞氏、七月に田中正夫氏、十月に瀬尾乃武氏、十二月には筧三男氏と、シテ方・囃子方・狂言方、そして能楽写真家と、訃報が相次いだ年であった。詳しくは物故者の欄を読んでいただきたいが、時代の変わり目という感を強くするとともに、能界を支えて来られた長老の方々の死を悼み、働き盛りの役者の急逝を悲しみ、無念の思いで見送った。日本能楽協会の会員数も、ここ数年、流儀にもよるが少しづつ減少化の傾向にある。能楽の発展にとって適正規模なら問題はないが、必ずしもそうとは言えない面もあり、後継者の育成は愁眉の急であろう。ところで、私事にわたって恐縮ながら、筆者は平成八年四月中旬から平成九年四月中旬までの一年間、法政大学在外研究員としてヨーロッパに留学し、ロンドンとパリを拠点にヨーロッパの博物館・美術館を回り、在外能楽面の調査を進め、一年ぶりに帰国したので、平成九年四月中旬までの動きは直接には分からない。ヨーロッパ滞在中、時々耳にする日本の政治・経済・社会状況(汚職報道・凶悪事件の続出)などから、日本はこのままでいいのかという危惧をしばしば抱いたが、帰国後、消費税が五パーセントに上がっていたり、社会党がなくなっていたりと、驚くことが多かった。久しぶりに見た能・狂言からも、正直言って本当にこれでいいのか、大事なものを忘れたり失ったりしてはいないか、と思うことが多かった。もし繁栄の真只中にあるとしても、真の繁栄といえるのか、とにかく帰国直後の観能体験は、決して心地いいものではなかった。能楽界も、危機意識の希薄な「日本の平和」そのものにどっぷりつかっている。しかし、数カ月鑑賞を続けているうちに、いいものを観たという感動もあった。そして、先人たちが苦労しながら守り伝えて来た能楽は、やはり大切に守り、次代へ送りたいものだと感じた。以下、しばらく能・狂言を見ないで過ごした人間が、久しぶりに見聞した平成九年の能界の様相や出来事を、記録を中心に概観し、二十世紀も終わりに近い能界を展望することにしたい。